ばあばが帰る前日に息子は風邪をひいた。インフルでもなく熱もあるわけではなくただの鼻水と咳だったのだが、それまで「ばあばばあば」となついていた息子が体調が悪くなった途端、「おかあちゃーん」になってしまい、せっかくの「ばあば孝行」も最後はさみしいものになってしまった。しかも別れにはとってもドライな息子は泣いたり未練を残す風でもなくあっさり「バイバーイ」だったし。私自身ももっとしんみりとお話したかったのにばあばの帰りの新幹線の時間をすっかり忘れていて強引に1時間近く散歩につきあわせ、なおかつファミレスに誘導してお昼をおごらせ、プラプラとのんきに歩いて帰宅したらなんと「ばあばの出発15分前」だった。もちろんばあばは時間に気付いていただろうし、焦ってもいただろう。でも私や息子に気を使い、黙ってつきあってくれたのだ。本当に失敗した。私の中では散歩中、お昼のメニューのことで頭がいっぱいになっていて自分で何かをこしらえたり、買ってくるよりは最後やし、ファミレスに行った方が楽しいんちゃうか~と考えてるうちにばあば出発時間のことはすっかり忘れていたのだ。しかもせっかく行ったファミレスでは風邪をひいてる息子は食欲がなく半分も食べられなかった。その横で必死に息子に食べさせようと奮闘するばあばは自分の食事もままならず、結局先に食べ終わった私と息子がばあばが食べ終わるまで待つ形になり、それも時間が押す原因となった。(息子の食事の世話をさせるのも私はばあば孝行だと思っている)帰宅して15分前ということにやっと気付いた私ではあったが、万事休す。ばあば一人でバタバタとトイレに行ったり、化粧を直したり、荷物を整理したり、新幹線で飲むお茶を入れたり・・まったく余韻を残す間もなく「じゃあね~」といつもの笑顔で旅立って行ったのであった(現実的な旅のこと、あの世ではなく・・)。がっかり要因として他にも3ヶ月前には単語しか話せなかった愛しい孫が「~じゃない?」だの「あのさ~これさ~」だの「~でしょー」などと東京弁を話していたのもショックだったに違いない。私は極力息子の前では関西弁を話すようにはしているが、やはり保育所での先生やお友達の影響は大きい。私も頭に血が上るとついキツイ東京弁が出てしまう。あかんね~おとうちゃん。息子の親戚いとこは私の実家以外は全員関西弁なのでこれから法事などで顔を合わせたときに孤立しないようにせめてリスニングだけはできるようにしておきたいと願う埼玉出身のハハであった。